2015年7月27日月曜日

陣場高原下BS,底沢峠、陣馬山、醍醐丸、山の神、和田経由中里橋BS

久しぶりに醍醐丸に登りました。


高尾駅6:54発の急行バスで陣馬高原下まで。 今回は底沢峠を目指します。底沢峠へのコースは尾根道なので、奈良子峠への道に比べると視界も開け、気持ち良いです。 底沢峠では休まず明王峠で小休止。晴れていましたが、視界が良くなく、富士山など見れず。 奈良子峠のあとにGPSのログを見ると富士小屋山を通過したことになっていますが、不明です。 そして陣馬山到着。晴れているが視界が良くない。夏だから仕方がないですね。 ここでアクエリアスの残りが300ml。飲み物を買おうか迷いましたが、和田峠のお茶屋の方が安いのでは?と思い。買わずに和田峠に下りました。 和田峠に着いて茶屋を見ると開いていませんでした。和田峠から藤野側がクローズになっているからでしょうか? バスの運転手さんは、和田峠はシルバーウイークから開通するといっていたのを思い出しました。 和田峠から醍醐丸へのコースでは、誰も会いませんでした。静かな尾根道。醍醐峠の八王子市側の林道跡が気になりました。 八王子市最高峰?醍醐丸で小休止。視界は開けていないのですが、静かで良い場所です。ここから山の神までは、初めてのコース。陣馬高尾縦走路と違い所々岩場があります。切り立ったがけのようなところは無いので、それほど危険ではありませんが要注意ですね。 尾根道の幅がちょうど良い感じで気持ち良く歩けました。 山の神から和田を目指して下ります。整備されたコースですが、階段のステップ部も勾配がついており、下りは要注意です。 沢に出たところの水場の水は冷たくて気持ちよいです。水筒に入れて持ち帰りコーヒーを入れたのですが、なんとなく苦味がマイルドな感じでした。お勧めの水場です。 沢沿いに下り和田(陣馬街道)に出ました。ここから和田バス停まで歩いて下ります。 和田バス停は、今年3月で閉館となった陣馬自然公園センターにあります。バスの時間に1時間ほどあり、少し戻ったところに看板があったやさか茶屋で休もうか迷ったのですが、とりあえず陣馬街道を歩いて下ってみました。 途中、町内放送で「光化学スモッグ」注意報が流れてきて中里橋バス停で藤野行きのバスに乗りました。

上のルート図、実写図にすると山の神の南側に飛行機が写っています。ちょっとびっくり。

2015年7月24日金曜日

大垂水、小仏城山、小仏峠、底沢

今回の目的は、大垂水から小仏峠までを歩き、多摩川水系と相模川水系の分水嶺歩きをつなげること。(草戸山から奈良子峠までつながることになります。)



平日なので大垂水経由八王子行きのバスはがらがらでした。大垂水で降りたのは私一人だけです。小仏城山までの尾根道が目的なので、大垂水橋はやり過ごし、案内川上流端脇のハイキングコースを登ります。少し急な階段を登ると案内川の源流部とハイキングコースは並行する箇所にでます。
ここを過ぎると尾根道まで案内川源流の支流の沢沿いを登ります。
尾根道は幅が広めで気持ちよいが、日差しが強い日は大変かもしれません。
小仏城山の縦走路まで、1人も出会わず。
小仏城山は、人もまばら。小仏峠から神奈川県側へ下りました。
小仏峠から東京都側に下りるコースよりも、こちらの道のほうがなだらかでゆっくり歩けます。なだらかな分歩く距離が少し長めです。
途中、地図にない中峠との標識がありました。ここは中の茶屋跡らしい。
ハイキングコースから車道を少し歩くと照手姫の水鏡「七ツ淵」なる案内板が目に留まりました。雲行きが少し心配でしたが、片道550mだったので立ち寄りました。
最後の数メートルは本日唯一の鎖場がありました。
照手姫は美女谷で生まれたとのこと。
後は、美女谷橋を渡り国道20号線を歩き相模湖駅まで戻りました。
帰りJRで八王子駅に着いた時は、雷雨!。朝の予報より少し早く天気が悪くなったようでした。

私のGPSは大垂水付近ではうまく電波を拾ってくれませんね。前回もずれていましたが、今回もかなりずれています。

2015年7月22日水曜日

2015年7月20日月曜日

陣場高原下BS、奈良子峠、景信山、小仏峠、小仏BS

高尾陣場縦走コースの一部を歩いてきました。

台風の影響で、沢の水が豊富でした。



高尾駅6:55発の陣馬高原下行きのバス(満員)で終点まで。バス停からはほとんどの人は陣馬街道を陣馬山方面へ向かったようで、明王林道方向に直進する人は、数人でした。
昨日まで雨が降っていたためか、沢の水量が結構あり、道の上も山側の路肩から水が流れ出してきていました。
明王林道の終点で底沢峠への道と、奈良子峠へ道とが分岐します。底沢峠への沢はオキナツルシ沢と呼ばれていたそうです。また明王渓谷とも言われた時期があったとのこと。分岐点には、中の沢作業道との標識がありました。
奈良子峠への道は、七ツ久保林道との標識があります。
今回は七ツ久保林道に入ります。7ツ久保林道終点からの奈良子峠へのコースは夏草に覆われ、湿度も高く、不快でした。

明王造林地に入ると、気持ち良い林の中の九十九折。
奈良子峠からの尾根道は夏草に覆われることなく快適。夏草に覆われたコースの方が「自然」の姿なのでしょうが、やはりある程度快適に歩きたいものです。
今の底沢峠は昔、明王峠と呼ばれていたそうです。今の茶屋のある明王峠にある明王不動尊も旧明王峠(今の底沢峠)から移設されたということです。
神奈川側は植林の手入れがしっかりできているようですが、東京都側は、さほど手入れされていない様子。
景信山付近の尾根道

景信山についたのは11時頃、人が大勢いましたが、テーブルなど半分以上空いていました。
景信山から小仏峠へのコースで一部コンクリートを打っているのは、運搬機械を通すためなのでしょうか?
小仏峠から小仏へ下りました。コース脇に水色の道標?は何のためなのでしょうかね。
ヤゴ沢分岐のところにある青色の小屋は私有のものなのでしょうか?
なんか判らないことがたくさんあった下り道でした。
バス停までの道で宝珠寺前に南浅川上流端の標識がありました。

2015年7月18日土曜日

榛名尾根

寺田町町会 榛名尾根ふれあいウォーキングコースは、八王子市、町田市にまたがるコースです。 コース南側部分は八王子市と町田市との市境の尾根で、境川と多摩川水系との分水嶺です。


歩いた起点・終点は、バス停「寺田センター」。
コース途中に案内板があるのですが、結構迷うところがあります。
道に迷っても、すぐにどこかに出ることができるので、あわてることはありません。

 

コース途中で見晴らしのよい場所は、あまりありません。
コースから少し外れますが、山王社からは南東方向の橋本方面の見晴らしが良いです。
榛名尾根・山王社





2015年7月12日日曜日

南高尾山稜



南高尾山稜を歩きました。

JRで相模湖駅へ、そしてバスで大垂水まで行き、南高尾山稜を歩きました。
大洞山、金毘羅山、中沢山、泰光寺山、榎窪山、草戸山、四辻を経由して高尾山口駅に戻りました。後半バテ気味で、5時間30分かかりました。

低山ですが、途中、WC,売店、自販機がないので、要注意です。




個人的に、気になっていたのは、榎窪山。 相模川、境川、多摩川水系の分水嶺です。(城山湖を境川の水源のひとつとした場合)
城山湖ができる前の分水嶺だったという言い方が正しいようです。

通常は、城山湖は津久井湖と水をやり取りしているだけなので、現在の分水嶺は草戸山になりますね。

榎窪山


泰光寺山(たいこうじさん)は別名、高山と呼ばれているようです。

歩いたコースには、「関東ふれあいの道 湖のみち」の表示があります。

梅の木平から高尾山口駅までの歩行距離は16.2km 所要時間 7時間15分とありますが、結構厳しいような気がします。
私には無理ですね。

今回は歩きませんでしたが、三沢峠から峰の薬師方向に下りるルートは、「関東ふれあいの道 峰の薬師へのみち」になっています。

三沢峠から「かたらいの路 高尾~大沢コース」に入ります。

といっても「かたらい」ながら歩けるのは城山湖散策路コースに入ってからですね。

見晴台付近の稜線の南側には神奈川県相模原市(旧津久井町)三井の「三井水源林」が整備されているようです。





案内川上流端

案内川は南浅川の支流で、源流部は小仏城山になります。
上流端の標識は大垂水峠(もちろん八王子市側)にあります。

馬場喜信著「流域紀行八王子」には、昔、大弛峠と呼ばれていたのは、稜線がここで落ち込んでいるから。現在、大垂水と呼ばれるのは、滝があるからだろうとの記載があります。

大垂水バス停からは神奈川方向へ歩き、大垂水峠橋をくぐり小仏城山への
ハイキングコース入り口階段の脇を少し入ったところにあります。


上流端の標識はハイキングコースから少しだけみることができます。
今回は、ハイキングコースから数メートル藪をかき分けて、標識の近くまでいって見てみました。

漢字で案内川の表示

ひらがなで「あんないがわ」と表示。
案内川上流端

案内川は国道20号に沿って流れ、上椚田で南浅川に合流します。流路延長8km。


この滝の上、案内川源流部はこんな感じです。
案内川源流部


大垂水峠近くの案内川
案内川・大垂水峠


高尾山口駅近くの案内川
案内川・高尾山口駅付近

そして案内川は上椚田橋付近で南浅川へ流れ込みます。
下の写真は上流側から合流部を見たところ。
小仏方面から流れてきた南浅川は国道20号の上椚田橋の下を流れて、90度向きを変えて
います。 それに対して案内川が流れ込んでいます。 案内川の方を南浅川の本流としても良い感じです。
案内川・終点

2015年7月6日月曜日

町田市相原について

なぜ、相原は町田市なのかYahooの知恵袋に説明(yutt97aさんの回答)が載っていました。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1356750168
あの細長い部分は、もともと堺村という1つの村でした。その後、堺村は、ほかの町村と合併して町田市になっています。 堺村から町田へは川沿いの歩きやすい道でつながっていますが、八王子との間は山越えです。合併の際、峠の向こうの八王子よりは、町田と一緒になる方が自然です。 それよりは、川1本隔てただけの相模原市と一緒になる方が地形的にはもっと自然です。なぜそうならなかったのでしょうか? 奈良時代以来、日本の地域は60余の「国」に分けられ、さらに国の中は「郡」というエリアに分けられました。堺村は、武蔵国多摩郡に所在していました。 相模国と武蔵野国の境界を決めるとき、多摩丘陵の稜線ではなく、境川を境界にしました。堺村から境川を隔てて南側は相模国高座郡です。 武蔵国と相模国の境界が多摩丘陵ではなく境川だったことは、土木技術の発達した近世以降の感覚では不自然かもしれませんが、奈良時代頃の感覚では、周囲にぬかるんだ湿地が広がる川よりも、地盤の良い丘陵の方が越えやすかったのかもしれません。実際、奈良時代の道は、河川や低湿地をやたらと嫌う反面、丘陵地はあまり気にしていない、というより、好んで突っ込んでいく傾向が見られます。だとすれば、越えにくい川の方を境界に選んだのは自然なことだったのかもしれません。 明治になって、県ができたとき、武蔵国多摩郡(いわゆる三多摩)は、一度は神奈川県に編入されました。いまの町田市も八王子市も、神奈川県だったのです。しかしすぐに、多摩郡は神奈川県から切り離され、東京府に編入されます。東京府としては多摩川の水利権が欲しかったのでしょう。このとき、「多摩郡」が神奈川県から東京府に移行した、というのがポイントで、多摩丘陵の南側にある堺村を含む現町田市も、地形や地域の事情にかかわらず、奈良時代以来多摩郡であったという一点で、他の三多摩エリアと一緒に東京府に移っています。 堺村が八王子と一緒にならなかったのは、地形を見ればごく自然な事なのですが、多摩郡に属していたこと、多摩郡が一括して神奈川県から東京府に移ったことで、堺村の立ち位置がおかしなことになりました。自然地形上の境界である多摩丘陵と、人間が決めた境界である東京府と神奈川県の境界(武蔵国多摩郡と相模国高座郡の境界に由来)に挟まれてしまったのです。 そして、合併の際、峠の向こうと合併するのも不自然、東京府の村が神奈川県の隣町と合併するのも不自然、ということで、同じ東京府で地理的にも近い町田と合併するしかなかったのでしょう。 仮に武蔵国と相模国の境界が境川ではなく多摩丘陵の稜線であれば、堺村は相模国高座郡に属していたはずで、今頃は神奈川県相模原市になっていたでしょう。
現在の東京都と神奈川県の都県境は東京湾側は、多摩川。 そして、稲城市、町田市が多摩川より南側に位置し、町田市の南西側から境川が都県境になり、境川の水源城山ダム付近で、多摩川と相模川との分水嶺となる尾根が都県境となっています。 海側の境は河川、山側の境は分水嶺になるのが自然なので、稲城市南側、町田市南側、西側の都県境は、都県境が多摩川から多摩川、相模川の分水嶺に推移する過程において、境川などの要素を取り入れ決められているのですね。

2015年7月4日土曜日

七国相原特別緑地保全地区


梅雨の晴れ間、町田市と八王子市とに跨る七国相原特別緑地保全地区周辺を歩いてみました。

八王子市と町田市との境をまたぐ七国相原特別緑地保全地区。
市境の尾根は、浅川(多摩川水系)、境川との分水嶺です。
八王子市側は尾根近くまで宅地化されているのに対して、町田市側はうまく自然を残しています。




七国相原尾根に八王子市側から入る場所は、七国峠の北側の大船給水所、ドッグラン(七国公園)の2箇所です。 今回はドッグランから入りました。
バスだと、みなみ野駅からバスで「七国南」バス停で降り、スーパーアルプスを過ぎた辺りで尾根の方に向かうとドッグランに着きます。
ドッグランから真っ直ぐに尾根を越えて町田市側に降りる道もあります。(今回は便宜上「梅木沢の切通し」と呼びます。
今回は梅木沢の切通しを抜けて直ぐに尾根道に戻り西側の七国峠に向かいました。
途中に町田市梅ノ木沢から上がってくる舗装路との分岐があります。
この分岐脇に「七国古道」と書かれた標識がありますが、壊れかけていました。
この尾根は八王子市と町田市との市境なので、町田市、八王子市の基準点が地面に設置されています。町田市の基準点はコンクリに金属で基準点であることが表示されています。それに対して八王子市の基準点はコンクリ上部に「王」の文字を模した彫りがあるシンプルなものです。
まもなく相原側にある小林鶏農園の脇を抜け、緩やかな登りを終えると七国峠です。
峠には標識があります。
ここを南下して出羽三山供養塔から東側に向かうと町田市の相原中央公園の尾根林道に入ります。この公園は下側には芝生の公園、運動場などがあり、上部は自然を生かした雑木林の公園になっています。
公園内の林道では特に小さな谷を通る炭焼きえびね林道が好みです。
尾根道に戻り東側の丸山団地を目指します。
相原ブルーベリー農園の脇に南側の視界が開けたところがありました。
相原駅から丸山団地を抜けてこの尾根林道に入る場合は、添付写真を参考にしてください。(丸山団地北西部駐車場の看板とコンクリの壁が目印です。
不案内な場合は、相原中央公園の入り口から公園内の炭焼きえびね林道を使い上がると良いかもしれません。
丸山団地から陽田川橋を渡り、梅ノ木沢から七国相原尾根に一旦戻りました。そして梅木沢の切通しを経て町田市側に降りました。
町田市側におりると、広場にでます。この広場には名称がありませんでしたが、相原の少年野球チームジャガーズ(http://aihara-jaguars.com/)のグランドのようです。
グランドから車道に出て陽田川橋に戻り、そこから谷戸を相原方向に向かいます。
陽田川橋の脇には 獣魂碑があります。養豚場跡だそうです。(あいとぴあ41号の記事より)
陽田川沿いの谷戸は非常によく手入れされています。歩いて非常に気持ちが良いです。
丸山団地から階段で降りてくる場所付近から七国相原尾根(梅木沢の切通しの少し東側)に上がる道が分岐しています。ここも標識がありません。
ここから七国相原尾根道に戻りました。
梅木沢の切通し東側で尾根道に合流するのですが、ここが十字路になっておりわかり難いです。標識もありません。
梅木沢の切通し東側にある展望所から八王子市側の眺めを楽しんだ後、再び登ってきた道を陽田川に戻ります。
陽田川谷戸を東に進むと御殿峠古窒群の案内板がありましたが古窒後が良く判りませんでした。この付近にある尾根からの流水を流している洗い場がいい感じでした。
更に東に行くとJR横浜線沿いに着きます。そこからJR横浜線の西側を七国相原尾根まで登る道があり登ってみました。途中小川を越える木橋、藪のトンネルなどがありスリリングでした。尾根道にでたところにも特に標識はありません。
しいて言えば、分岐脇の木に「344」の識別、分岐脇の笹に赤のテープがあったことです。
登ってきた道を下って相原に向かいます。途中西側へ入る道があったので入ってみると踏み跡は明瞭なのですが藪できつかったです。また朝一番で通ったためか、クモの巣も多く快適ではありません。小川を渡ると、少しまともな小道にでます。この付近を天沼(昔の字名)と呼ぶのでしょうかね。
この付近には小道をまたぐような木がありました。「757」の識別がついていました。この小道は東西に伸びる小さな谷戸沿いに通っているようです。視界があまり開けずうっそうとしておりいかにも「天沼」といった雰囲気でした。
この小道を東側に行くと登ったJR横浜線沿いの道に合流します。
相原駅北側にある踏切を渡り、車道を八王子市側に登っていきます。
乗馬クラブを過ぎ左側にある駐車場脇の道が七国相原尾根に通じる道です。
5分ほど歩くと先ほどのJR西側の道との分岐につきます。そこを過ぎると少し広くなった場所があり、七国相原特別緑地保全地区の案内板があります。
案内板を過ぎ2-3分で八王子市側の視界が良い場所にでます。
更に進むと八王子市にある東京ゆりかご幼稚園の脇にでます。
この付近に先ほどの小川沿いの道がつながっているとの話を伺ったので確認たところ、それらしい道が藪の中に見えました。秋以降に確認してみたいですね。
そして展望所を通過して梅木沢の切通しに戻りました。
ここから七国南バス停付近を経て帰宅。さすがにアスファルトの街中は暑かったです。

写真はこちら、地図とリンクできていません。
https://goo.gl/photos/AsBFFsbzxrSNRyyBA


みなみ野から鑓水に抜ける道路も東京造形大の西側までは、ほとんどできているようです。 東京造形大は9号館と10号館との間を切通しで抜けるのでしょうか?